
もとの題名は『詩人』でした。『地獄の門』の一部として作られたこの像を『考える人』と呼んだのは、ミケランジェロの彫刻との類似に気づいた鋳造家です。モデルは屈強なボクサー兼レスラーのジャン・ボーで、記念碑的な大型ブロンズ像は世界におよそ29体あります。
見どころ
顎を支える右手
前かがみになり、右肘を左腿に置いて、右手の甲で顎の重みを支えています。この姿勢は深い思索と瞑想の表現として受け取られてきました。
岩に座る裸体の男
像は岩に腰掛け、人々の行為と運命について思いをめぐらせる人物として表されています。もとは『地獄の門』欄間中央に置かれる要の像として構想されました。
筋肉質な体つき
筋肉質な体つきは、ロダンの他の作品にも登場するモデルの体格を反映しています。ミケランジェロの伝統に連なる英雄的な裸体像で、知性と詩の両方を表そうとしたとされます。
『地獄の門』の要の像
ロダンは1880年、フランス政府から装飾美術陳列館の正面大扉の制作を依頼されました。ダンテ・アリギエーリの『神曲』地獄篇に着想を得て『地獄の門』を構想し、その中央上部に置く要の像として本作を制作しています。
本作は当初『詩人』と題される予定で、地を見下ろして瞑想するダンテを象徴した像と説明されることがあります。一方で、ダンテは『神曲』の中で衣服をまとっているのに対しこの像は裸体で、体格もダンテ像とは一致しないとして、この解釈を限定的に見る見解もあります。
複数のサイズで鋳造された
原型は1881年から1882年にかけて制作されました。1888年に『地獄の門』から独立した作品として大型化され、1902年から1903年にかけて高さ186センチメートルの拡大版が作られています。
1904年のサロン出品で広く知られるようになり、公募でまかなわれた鋳造費用によりパリ市の所有となって、パンテオン前に設置されました。1922年にロダン美術館へ移されています。記念碑的な大きさのブロンズ像は、その後およそ29体が世界の美術館や公共空間に鋳造されました。
映画に登場する『考える人』
チャールズ・チャップリンの映画『独裁者』には、『ミロのヴィーナス』とロダンの『考える人』が、左腕を伸ばした姿に改変されて登場します。この場面はナチス式敬礼への暗示を通じて、芸術がナチス・ドイツのプロパガンダに取り込まれることを扱ったと説明されています。
収集家マックス・リンデが1904年に自邸の庭へ設置した鋳造像を、エドヴァルド・ムンクが絵画『リンデ博士の庭のロダンの考える人』に描いています。この鋳造像はのちにデトロイト美術館へ移されました。
よくある疑問
- 『考える人』はどこにある?
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原作はパリのロダン美術館が所蔵しています。記念碑的な大型のブロンズ像はおよそ29体が鋳造されており、日本では国立西洋美術館、京都国立博物館、静岡県立美術館などにも所蔵されています。
- なぜ『考える人』という名前なの?
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もとは『詩人』と題される予定でした。『地獄の門』の細部を手がけた鋳造家が、ミケランジェロによるロレンツォ2世・デ・メディチ像『イル・ペンシエローソ(思索する人)』との類似に注目して名づけたのが通称として定着したとされています。
- モデルは誰?
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ロダンの他の作品と同じく、筋骨たくましいフランスのボクサー兼レスラーのジャン・ボーがモデルとされています。ボーはフェルディナント・ホドラーが手がけた1911年のスイス・フラン紙幣にも描かれています。
- いくらの価値がある?
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2022年6月、パリのクリスティーズで鋳造像1体に1400万ユーロの評価額が付けられました。この像はアレクシス・リュディエが創設したリュディエ鋳造所で1928年ごろに制作されたものです。
基本データ
- 作者
- オーギュスト・ロダンAuguste Rodin
- 制作年
- 1881〜1882年
- 種別
- 彫刻
- 技法・素材
- ブロンズ
- 寸法
- 高さ 72 cm
- 所蔵
- ロダン美術館(パリ)
- 展示室
- 印象派以後
オーギュスト・ロダンのほかの作品
出典・画像について
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