ピエタ

ミケランジェロ・ブオナローティ《ピエタ》1498〜1500年
ピエタPietà (Michelangelo)
1498〜1500年
大理石
サン・ピエトロ大聖堂(ローマ)
何がすごいのか

ミケランジェロが自分の作品に署名を入れた唯一の例がこの彫刻です。完成直後、別の彫刻家の作だという噂を耳にして激怒し、夜中に忍び込んでマリアの帯に名を刻んだと伝えられています。1972年には精神を病んだ男にハンマーで叩き壊され、以降は防弾ガラスの奥に展示されています。

見どころ

若く穏やかなマリアの顔

悲しみに沈む年配の女性として描かれるのが通例だった聖母マリアを、ミケランジェロは若々しく穏やかな女性として表現しました。依頼主の枢機卿は「マグダラのマリアの間違いではないか」と非難したと伝えられています。

帯に刻まれた署名

マリアの肩から胸に下がる帯には「フィレンツェの人ミケランジェロ・ブオナローティ作」と刻まれています。噂を否定されたことに怒り、夜中にみずから刻んだといわれる、生涯唯一の署名です。

三角形を描く構図

マリアの頭を頂点に、ドレスの襞が広がりながら台座へ向かう三角形の構図が取られています。この襞は美しさのためだけでなく、横たわるイエスの頭や足を支える物理的な役割も果たしています。

フランス人枢機卿の依頼

この像は、ローマ駐在の元サン・ドニ修道院長でフランス人枢機卿ジャン・ド・ビレールの依頼で制作されました。自分の葬儀の記念のためのピエタ像を求め、1498年8月に金貨450ドゥカーティで契約が交わされています。ミケランジェロはみずから石切り場へ出向いて大理石を選び、制作を開始しました。

怒りのあまり刻んだ署名

ヴァザーリの記録によれば、設置後まもなく「二流彫刻家クリストフォロ・ソラーリの作」という噂が流れました。これを耳にしたミケランジェロは怒り、夜中に教会へ忍び込んでマリアの帯に自分の名を刻んだといわれています。のちにこの行為を後悔し、以後は自分の作品に署名しないことを誓いました。

礼拝堂の移動と二度の被害

像は当初、大聖堂再建にともない取り壊された礼拝堂の、枢機卿の墓の上に置かれていました。その後何度か移動し、1749年に現在の位置に落ち着いています。1736年と1972年の二度にわたり損傷を受けましたが、いずれも修復されました。

よくある疑問

『ピエタ』はどこにある?

ローマのサン・ピエトロ大聖堂に所蔵されています。1749年から、大聖堂に入って右側の礼拝堂に置かれ、現在は防弾ガラスで保護されています。

なぜマリアがこんなに若く見える?

ミケランジェロ自身は「純潔な女性は瑞々しいままでありつづける。マリアは劣情を一度も抱いたことがないのだから」と語ったと伝わっています。カトリック教義ではマリアは原罪なく身ごもったとされ、老いを免れた存在として描かれる伝統もあります。

壊されたことがあるって本当?

本当です。1736年には正気を失った男にマリアの左手の指4本を折られました。もっとも深刻な被害は1972年で、精神を病んだ男がハンマーでマリアの左腕、鼻、左目を叩き壊しています。どちらも修復され、現在は防弾ガラスの奥に展示されています。

他にもピエタを作っている?

はい。ミケランジェロは生涯に4体のピエタを手がけましたが、完成したのはこのサン・ピエトロのピエタだけです。フィレンツェのピエタ、パレストリーナのピエタ、ロンダニーニのピエタはいずれも未完成のまま残されています。

基本データ

制作年
1498〜1500年
種別
彫刻
技法・素材
大理石
様式
盛期ルネサンス
所蔵
サン・ピエトロ大聖堂(ローマ)

ミケランジェロ・ブオナローティのほかの作品

《ダビデ像》 《モーゼ像 (ミケランジェロ)》 《アダムの創造》 《最後の審判》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(CC BY 2.5、撮影: Stanislav Traykov)。元ファイル

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