
ミケランジェロが使った大理石は、別の彫刻家2人が手をつけて放棄し、25年間放置されていたものでした。そのおかげで無料でこの塊を手に入れたといわれています。瞳はハート型に彫られ、1991年には観覧客に金づちで左足を砕かれる事件も起きています。
見どころ
怒りを宿す表情
顔には憤怒の感情がはっきりと刻まれています。人相学に基づき、内面の緊張を外見に反映させたとされる表現です。瞳はハート型に彫られています。
静脈の浮き出た右手
右手には静脈が浮き上がり、堅く踏みしめた右足とあわせて、いままさに攻撃を開始しようとする緊張感が表現されています。左半身は体重をかけずリラックスした姿勢です。
左肩にかけた投石器
ダビデは巨人ゴリアテとの戦いに臨み、投石器を左肩にかけて狙いを定めている場面が表現されています。ゴリアテを倒した後の姿を描いた先行作品とは異なり、これから戦闘に臨む瞬間をとらえています。
40年放置された大理石
この大理石は、ミケランジェロが手がけるより40年ほど前の1464年、フィレンツェの大聖堂を飾る彫像連作の一部としてカッラーラから運ばれました。彫刻家アゴスティーノ・ディ・ドゥッチオが着手しましたが理由不明のまま中断し、後継のアントニオ・ロッセリーノとの契約も破棄されています。大理石には劣化を早める微細な穴が多く、経験や技能の不足も重なって誰も完成させられませんでした。1501年、造営局は26歳の若きミケランジェロにこの仕事を託しました。
秘密裏の3年間
ミケランジェロは好奇の視線を嫌い、仕切りで囲って極秘裏に作業を進めました。フィレンツェ市長が視察に来た際には、槌の背だけを叩いて音を出し、手の中の大理石の粉末を市長の鼻先に散らして作業のふりをしたという逸話をヴァザーリが書き残しています。市長は像に命が吹き込まれる瞬間を見たと感動して帰ったとされ、制作のための素描やスケッチはほとんどミケランジェロ自身の手で焼却されました。
汚れ落としをめぐる論争
完成から500年近くを経た2003年、汚れが目立ってきたため160年ぶりの清掃が計画されました。美術館館長は水洗いを主張しましたが、依頼された修復家は大理石を傷めるとして反対し、対立の末に依頼を退けて辞任する事態になりました。最終的には和紙に水分を含ませて汚れを吸収させる方法で修復が終えられています。2014年には銃器メーカーが像を武装させたポスターを制作し、イタリア政府から著作権侵害として抗議を受けました。
よくある疑問
- 『ダビデ像』はどこにある?
-
フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されています。もともとはヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場に置かれていましたが、損傷や劣化を避けるため1873年に移設されました。元の場所には1910年から複製が置かれています。
- なぜ割礼の跡がないの?
-
歴史上のダビデ王は割礼を受けていたはずですが、像には跡がありません。この像のモデル個人の名にすぎず聖書とは無関係だとする説や、古代ギリシアの美的理想を模して意図的に包皮を残したとする説があり、決着していません。
- 頭や上半身が大きく見えるのはなぜ?
-
頭や上半身は下半身に対して比率が大きく、背後や真横から見ると不恰好に見えます。もともと高い台座に載せて壁を背に置かれる予定で、正面下方から見上げたときに均整が取れて見えるよう意図的に作られたためとされています。
- 壊されたことはある?
-
1527年の反メディチ革命で像が打ち壊され、左腕が損壊しました。破片はヴァザーリが拾い集めて後日修復されています。1991年には観覧客の一人が金づちで打ちかかり、左足が砕かれる事件も起きました。
基本データ
- 作者
- ミケランジェロ・ブオナローティMichelangelo
- 制作年
- 1501〜1504年
- 種別
- 彫刻
- 技法・素材
- 大理石
- 寸法
- 高さ 517 cm
- 様式
- 盛期ルネサンス
- 所蔵
- アカデミア美術館(フィレンツェ)
- 展示室
- ルネサンス
ミケランジェロ・ブオナローティのほかの作品
《ピエタ》 《モーゼ像 (ミケランジェロ)》 《アダムの創造》 《最後の審判》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、撮影: Commonists)。元ファイル