
《ホイッスラーの母》は、美術館の壁に掛かるより先にアメリカの記念切手の図案になった絵です。しかしホイッスラー自身は、多くの人がこの絵を「肖像画」として見ることに困惑し、苛立っていたと語っています。彼にとってこの絵は色と形の「アレンジメント」でした。
見どころ
「肖像画」ではなく構成
正式な題名は『グレーとブラックのアレンジメント No.1』です。ホイッスラーは「母の絵として興味深いのはわかるが、公衆がモデルの正体を気にする必要があるだろうか」と述べ、色と形の構成として見てほしいと語っています。
立ち姿から座り姿へ
ホイッスラーは当初、モデルを立たせて描くつもりでした。しかし母のアンナは長時間立ち続けるのがつらく、座った姿での制作になったといういきさつが伝えられています。
王立芸術院、ぎりぎりの展示
1872年のロンドン王立芸術院展に出品されましたが、落選すれすれのところで展示が決まりました。この作品を最後に、ホイッスラーは芸術院への出品をやめています。
「アレンジメント」という主張
ホイッスラーは「芸術のための芸術」を掲げ、自分の作品が「肖像画」として語られることに困惑と苛立ちを覚えていたと自著に書き残しています。1890年の著書では「母の絵として興味深いことはわかる。しかし公衆がモデルの正体を気にする必要があるだろうか」と述べています。もっとも、ヴィクトリア朝の観客にはこの主張は受け入れられず、「画家の母の肖像」という副題が加えられました。後にトーマス・カーライルが同じ構図で肖像を依頼し『グレーとブラックのアレンジメント No.2』として描かれたことで、この絵は結果的に「No.1」と呼ばれるようになりました。
手放された絵の、その後
ホイッスラーはこの絵を一時質に入れており、1891年にパリのリュクサンブール美術館が購入したことで、大きな美術館に自作が並ぶ喜びを味わったと手紙に書いています。以後、この絵はアメリカで母性や家族の象徴として広く用いられるようになりました。1934年にはアメリカ郵政省が肖像部分を図案にした記念切手を発行し、1938年には大恐慌下のペンシルベニア州アシュランドで、母への感謝を込めた高さ8フィートの像が建てられています。美術史家マーサ・テデスキは、この絵をモナ・リザや『アメリカン・ゴシック』、『叫び』と並べ、専門知識がなくても意味がほぼ即座に伝わる数少ない作品の1つだと評しています。
よくある疑問
- 『ホイッスラーの母』はどこにある?
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パリのオルセー美術館が所蔵しています。1891年にフランス政府が購入し、当初はパリのリュクサンブール美術館に収められました。
- モデルは誰?
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画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの母、アンナ・マクニール・ホイッスラーです。ロンドン・チェルシーの家で息子と暮らしていた時期にモデルを務めました。
- なぜ「ホイッスラーの母」と呼ばれる?
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元の題名『アレンジメント』では、ヴィクトリア朝の観客に肖像画として受け入れられませんでした。そこで「画家の母の肖像」という説明的な副題が加えられ、ここから通称「ホイッスラーの母」が定着しました。
- どんな影響を与えた?
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モナ・リザやグラント・ウッドの『アメリカン・ゴシック』、ムンクの『叫び』と並んで、美術に詳しくない人にもほぼ即座に意味が伝わる作品の1つに数えられています。1934年にはアメリカの記念切手の図案にもなりました。
基本データ
- 作者
- ジェームズ・マクニール・ホイッスラーJames McNeill Whistler
- 制作年
- 1871年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 144.3 × 163 cm
- 様式
- トーナリズム
- 所蔵
- オルセー美術館(パリ)
- 展示室
- 印象派以後
出典・画像について
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