本当は昼の情景を描いた絵です。ニスが黒ずんだせいで「夜警」という誤った通称が定着しました。1715年には四辺が切り詰められ、2人の人物が失われています。観客に刃物や薬品で3度傷つけられたこともあります。
見どころ
動き出す隊長と副隊長
黒い服に赤い飾り帯をかけた隊長バニング・コックが、黄色い服の副隊長ファン・ラウテンブルフに合図し、市民隊が出動する瞬間が描かれています。当時は不動の姿勢で描くのが通例だった集団肖像画に、動きを持ち込んだ構図です。
隊のマスコット、謎の少女
中央左奥で明るく浮かび上がる黄色いドレスの少女は、隊のマスコット的存在です。帯には火縄銃手の象徴である鶏の爪がぶら下がり、自警団の盃を手にしています。強い光で意図的に照らし出された3人の主要人物の一人です。
18人の名を記した盾
中央右後方の盾には、この絵を発注した隊長と隊員18人全員の名前が記されています。発注者側の記録によれば、各人が100ギルダーずつ、計1,600ギルダーを支払ったとされています。
実際の題名は別にある
『夜警』はあくまで通称で、正式には『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』という題名です。この絵は、市民隊の隊長バニング・コックと隊員17名の計18名からレンブラントに依頼されました。新しく建てられた火縄銃手組合集会所の宴会場に掲げるため、市民隊が画家たちに発注した集団肖像画7枚のうちの1点です。
転落伝説の真相
発注者たちが支払額に見合う平等な描かれ方をされなかったことに不満を持ち、これが以後の受注減やレンブラントの人生の転落の始まりになった、という言い伝えがありますが正確ではありません。実際には、妻サスキアが『夜警』完成と同じ1642年に死去したことや、大作の受注で財をなしたことをきっかけに、レンブラントは翌年から仕事のペースを落とし、画商業やコレクションに力を入れるようになりました。
転々とした保管場所
『夜警』は1715年にアムステルダム市役所へ移されたのち、ナポレオンによる占領期には王宮となった建物に置かれ、戦争終結後は国立美術館となったトリッペンハイスに戻されました。1885年に新しい国立美術館へ移された後、第二次世界大戦中は疎開のためリンブルフ州の丘陵の壕に5年間、額から外されキャンバスを巻いた状態で収容されていました。
よくある疑問
- 『夜警』はどこにある?
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アムステルダムの国立美術館に展示されています。1885年に現在の美術館へ移されて以来、代表的な展示作品になっています。
- 本当は昼の絵なのに、なぜ「夜警」と呼ばれるの?
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長年のあいだにニスが茶色く変色し、夜の情景に見えてしまったためです。20世紀に二度の洗浄でニスが取り除かれ、実際は昼を描いた絵であることが明らかになりましたが、通称はそのまま定着しています。
- なぜ絵は切り詰められているの?
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1715年にアムステルダム市役所へ移された際、部屋の柱の間に収めるためにはみ出す部分が切り落とされたと考えられています。左側の人物2人や階段の手すりが失われ、17世紀の模写から元の姿がうかがえます。2021年にはAIを使って失われた部分が再現されました。
- 観客に傷つけられたことはある?
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これまでに3度傷つけられています。1911年にナイフで切りつけられましたが厚いニスに阻まれ、1975年には元教師にジグザグ状の傷をつけられました。1990年には酸を吹きかけられましたが、警備員がすぐに水で洗い流しました。
基本データ
- 作者
- レンブラント・ファン・レインRembrandt
- 制作年
- 1642年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 363 × 437 cm
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
- 所蔵
- アムステルダム国立美術館(アムステルダム)
- 展示室
- バロック・ロココ
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
