テュルプ博士の解剖学講義

レンブラント・ファン・レイン《テュルプ博士の解剖学講義》1632年
テュルプ博士の解剖学講義The Anatomy Lesson of Dr. Nicolaes Tulp
1632年
油彩、カンヴァス、216.5 × 169.5 cm
マウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)
何がすごいのか

解剖されているのは、その日の朝に強盗の罪で絞首刑になった矢作り職人の遺体です。奇妙なことに絵の中で実際に解剖されているようには見えず、代わりに右下に解剖学の教科書が開かれています。2006年の再現実験では、描かれた左腕の筋肉に解剖学的な誤りがあることが判明しました。

見どころ

鉗子を構えるテュルプ博士

テュルプ博士は鉗子で左腕の腱をつまみ、筋肉組織の仕組みを説明しています。26歳のレンブラントが描いた腱の描写は精緻だと医学の専門家からも評価されてきました。

右下の解剖学書

画面右下には大きな解剖学の教科書が開いて置かれています。1543年にアンドレアス・ヴェサリウスが著した『ファブリカ』とみられ、解剖そのものはこの絵に描かれていません

陰になった死体の顔

死体の顔には一部影がかかっています。「ウンブラ・モルティス(死の影)」と呼ばれる、レンブラントがしばしば用いた表現技法です。

年に1体、処刑者の遺体で

日付は1632年1月16日に遡ります。テュルプ博士が市政解剖官を務めていたアムステルダム外科医師会では、処刑された犯罪者の遺体を使った公開解剖が年に1体だけ認められていました。17世紀の解剖学講義は社交イベントで、解剖劇場と呼ばれる講義室に、学生や同僚の博士、一般市民が入場料を払って見学に訪れました。見学者にはふさわしい服装が求められ、後列と左の人物を除く多くは、後から絵に描き加えられたと考えられています。

レンブラント初のフルネーム署名

絵の左上には「Rembrandt f 1632」という署名があります。これはレンブラントが自分の姓名を絵に署名した最初の例で、それまではイニシアルのみの「RHL」(ライデンのレンブラント・ハルメンスゾーン)を使っていました。芸術家としての評価が高まってきたことの表れと考えられています。

似た主題のその後の作品

レンブラントには『デイマン博士の解剖学講義』という作品もありますが、火災でごく一部しか残っていません。ただし本人が残したラフ画があり、失われた絵の全体像は今も知ることができます。アメリカの画家トマス・エイキンズも、1875年の『グロス・クリニック』、1889年の『アグニュー・クリニック』で同様の主題を描きましたが、こちらは生きた患者に対する臨床外科手術の場面でした。

よくある疑問

『テュルプ博士の解剖学講義』はどこにある?

オランダ、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵しています。1632年、レンブラントが26歳のときに描いた作品です。

誰が描かれている?

解剖学を講じるニコラス・テュルプ博士と、それを見学する医学の専門家たちです。遺体は、その日の午前に強盗の罪で絞首刑になった矢作り職人アーリス・キントのものです。

なぜ解剖の様子が描かれていないの?

17世紀、テュルプ博士のような高い地位の科学者は、解剖という卑しく血なまぐさい作業には直接かかわらず、他の係員に任せていました。そのためこの絵にも実際の解剖作業は描かれず、代わりに解剖学の教科書が置かれています。

絵の左腕には間違いがあるって本当?

本当です。2006年にオランダの研究者が遺体を使って場面を再現したところ、描かれた左前腕の筋肉の起始が実際とは逆であることがわかりました。レンブラントが右腕用の解剖図をそのまま左手に当てはめて描いてしまった可能性が指摘されています。

基本データ

制作年
1632年
種別
絵画
技法・素材
油彩、カンヴァス
寸法
216.5 × 169.5 cm
様式
オランダ黄金時代の絵画
所蔵
マウリッツハイス美術館(デン・ハーグ)

レンブラント・ファン・レインのほかの作品

《夜警》 《放蕩息子の帰還》

出典・画像について

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