
狩野芳崖が1888年に手がけた、作者の絶筆となった作品です。空中に浮かぶ観音が水瓶から水を落とし、赤子を包む泡へと流す構図が描かれていますが、この赤子のモデルは芳崖の初孫だったと弟子たちが証言しています。日本画革新運動の帰結点であり、近代日本画の出発点とも位置づけられています。
見どころ
空中に浮かぶ観音
画面上方には、水瓶を手にした観音が空中に浮かぶ姿で描かれています。前身作『観音』がもとにした楊柳観音・善財童子の伝統的な図像を引き継ぎながら、本作独自の構図へと発展させています。
水瓶からこぼれる水
観音が傾けた水瓶からは水が流れ落ち、下方の泡へとつながっています。この水の流れが、画面上下をひとつなぎにする軸になっています。
泡に包まれる赤子
画面下方には、観音の落とした水が変じた泡に包まれる赤子が描かれています。弟子たちの証言によると、このモデルは芳崖の初孫・新治だったとされています。
日本画革新運動の帰結点
狩野芳崖は、来日していたアメリカ人研究者フェノロサらとともに、伝統的な日本画の技法を見直しながら新しい表現を模索する運動に加わりました。『悲母観音』は、この運動が行き着いた到達点であると同時に、近代日本画の出発点とも位置づけられています。1888年の完成は、芳崖自身の死とほぼ重なっています。1955年には国の重要文化財に指定され、日本画革新運動を代表する一点として位置づけられています。
前身となった2つの観音像
『悲母観音』には、構図の源流となった2つの先行作品があります。1880年から翌年にかけて制作された『波上観音』は、所在がわかっていませんが、後の『観音』を左右反転させたような構図だったとされています。1884年のパリ日本美術縦覧会に出品された水墨画『観音』は、楊柳観音と善財童子をともに描く伝統的な図像をもとにしており、アメリカのフリーア美術館が所蔵しています。『悲母観音』は、この『観音』に続く「第二の観音」として描かれ、水墨から着色画へと表現の幅を広げています。
よくある疑問
- 『悲母観音』はどこにある?
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東京藝術大学大学美術館が所蔵しています。1955年に国の重要文化財に指定されました。
- 誰が描いた?なぜ「絶筆」と呼ばれる?
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狩野芳崖が1888年に描いた日本画です。芳崖はこの作品を完成させたのち亡くなっており、生涯最後の作品にあたることから絶筆と呼ばれています。
- 赤ちゃんのモデルは誰?
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弟子たちの証言によれば、画中の赤子は芳崖の初孫・新治がモデルになったとされています。
- 本作より前に似た絵はある?
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本作には2つの前身作品があります。1880年から翌年ごろに制作された『波上観音』(所在不明)と、1884年のパリ日本美術縦覧会に出品された水墨画『観音』(フリーア美術館所蔵)です。『悲母観音』はこの『観音』に続く「第二の観音」として制作されました。
基本データ
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル