
この作品のデータ
| 作者 | エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン | 同じ作家の作品 2点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1787年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | ロココ | 同じ様式の作品 7点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | ヴェルサイユ宮殿ヴェルサイユ | 同じ所蔵の作品 2点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
この絵は美術のためというより政治のための一枚でした。首飾り事件で評判を落とした王妃のイメージ回復のため、国王ルイ16世が母としての姿を描くよう画家に依頼したのです。画面の揺り籠には、完成直前に亡くなった末娘の姿が描かれていません。
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見どころ
空の揺り籠
王妃の右手側に描かれた揺り籠は、完成直前に亡くなった末娘ソフィー=エレーヌ=ベアトリクスのために置かれたものです。ヴィジェ=ルブランはあえて赤ん坊を描き入れず、空のままにしました。
宝石を控えた装い
王妃は豪華なドレスをまとっていますが、宝石はほとんど身に着けていません。ルイ16世の依頼により、母としての姿を強調して描かれています。
子は宝石という寓意
画面右手の宝石箪笥は、古代ローマの女性コルネリア・アフリカナが「私の宝石は子どもたち」と語った故事を想起させます。物質的な富より子どもを上位に置く構図です。
首飾り事件からの依頼
1785年、王妃マリー・アントワネットは首飾り事件で評判を大きく落としました。本人が直接関わった事件ではなかったものの、世論は王妃に厳しく向けられていました。国王ルイ16世はヴィジェ=ルブランに、王妃への共感を呼び起こす肖像画を依頼します。
構図は、同時代の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの助言を受け、ルネサンスの聖家族像から着想を得たとされています。背景には、王妃になじみ深いヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を思わせる空間が広がっています。
サロンでの波紋
絵画は1787年8月のサロン・ド・パリに展示される予定でした。しかし当時のマリー・アントワネットへの反感と、絵が損傷することを恐れたヴィジェ=ルブランは出品を渋ります。それでも政府の意向で展示は行われ、反応は賛否に分かれました。
国家的な文化財として
本作は現在、ヴェルサイユ宮殿のコレクションの中でも特に象徴的な作品の1つとされ、フランスの歴史教科書にもたびたび登場します。1814年、1822年、1897年の3度、本作をもとにしたゴブラン織のタピストリーが制作されました。最初の1枚はオーストリア皇后エリーザベトに、3枚目はロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナに贈られています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

宝石を控えた装い王妃は豪華なドレスをまとっていますが、宝石はほとんど身に着けていません。ルイ16世の依頼により、母としての姿を強調して描かれています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『マリー・アントワネットとその子供たち』はどこにある?
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ヴェルサイユ宮殿が所蔵しています。1787年のサロン・ド・パリ出品後は宮殿の「マルスの間」に掲げられ、ルイ・フィリップの治世以降は宮殿内の美術館に収められました。
- なぜ揺り籠に赤ちゃんがいない?
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揺り籠の主だった末娘ソフィー=エレーヌ=ベアトリクスが、この絵の完成直前に亡くなったためです。ヴィジェ=ルブランはあえて空のままにし、見る人の同情を誘う仕掛けにしました。
- 描かれている子どもたちのその後は?
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王妃の膝の上にいるのは後のルイ17世です。傍らに立つ王太子ルイ=ジョゼフ・ド・フランスは、革命勃発の直前に亡くなりました。
- 『バラを持つマリー・アントワネット』とはどう違う?
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『バラを持つマリー・アントワネット』は1783年、サロンで物議を醸した肖像画の代わりに急遽描かれた単身像です。この絵は1787年、首飾り事件後の評判回復を狙って国王が依頼した家族肖像で、王妃を母として印象づける目的があります。
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



