
『ヘントの祭壇画』は、13回の被害と7回の盗難に遭ってきた、美術史上もっとも狙われた絵とされています。1934年に盗まれた「正しき裁き人」のパネルはその後見つかっておらず、わたしたちが目にしているのは修復時に描かれた複製画です。失われたオリジナルの豪華な額縁には、翼を自動で開閉するぜんまい仕掛けまで組み込まれていました。
見どころ
血を流す神秘の子羊
中央パネルでは、祭壇に立つ子羊の胸の傷から流れた血が金の杯に注がれています。その真上には聖霊を表すハトが、金色の光を放ちながら浮かんでいます。
裸のアダム
画面の端には、石の壁龕に立つ裸のアダムが等身大で描かれています。初期フランドル派で最初の裸体像とされ、19世紀には一時、着衣の複製画に置き換えられていたこともあります。
玉座の人物をめぐる論争
上段中央、玉座に座る人物が誰なのかは研究者の間でも意見が分かれています。聖職服を着ていることから「玉座のキリスト」とする説のほか、父なる神とする説、三位一体を表すとする説があります。
寄進者ヨドクス・フィエト夫妻
祭壇画の制作を依頼したのは、裕福な商人で当時のヘントで市長格の地位にあったヨドクス・フィエトと、妻エリザベト・ボルルートです。子供に恵まれなかった夫妻は教会に多額の寄付をし、前代未聞の規模の祭壇画を依頼しました。完成のお披露目は1432年5月6日、ブルゴーニュ公フィリップ善良公のための公式行事の一環として行われています。
第二次世界大戦を生き延びて
第二次世界大戦が迫ると、ベルギー政府は祭壇画をヴァチカンへ避難させようとしましたが、輸送の途中でイタリアが参戦を宣言したため、フランスのポーに一時保管されました。1941年、ナチス・ドイツのヒトラーが押収を命じ、最終的にオーストリアの岩塩坑に他の略奪美術品とともに隠されます。終戦後にアメリカ軍が発見し、ベルギー王家主催の式典で返還されましたが、この式典にフランス側は招かれませんでした。
よくある疑問
- 『ヘントの祭壇画』はどこにある?
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ベルギー・ヘントのシント・バーフ大聖堂に所蔵されています。翼は通常畳まれており、日曜日や祝祭日に開かれます。
- 誰が描いた?
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フランドルの画家フーベルト・ファン・エイクが制作を始め、全体のデザインの多くを完成させましたが、1426年に亡くなりました。未完だった部分を1430年から1432年にかけて完成させたのは、弟のヤン・ファン・エイクです。どの部分をどちらが描いたのかは、今も定説がありません。
- なぜこんなに盗難が多い?
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はっきりした理由はわかっていませんが、美術史家ノア・チャーニーは最初の公開以来13回の被害に遭い、7回盗まれた作品だとしています。フランス革命後の略奪、第一次・第二次世界大戦での接収、1934年の「正しき裁き人」パネルの盗難などが重なっています。
- 「正しき裁き人」のパネルは見つかった?
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見つかっていません。1934年に盗まれたまま行方不明で、展示されているのは修復時に描かれた複製画です。
基本データ
- 作者
- ヤン・ファン・エイクJan van Eyck
- 制作年
- 1432年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、板
- 寸法
- 375 × 260 cm(翼を畳んだ状態)
- 様式
- 初期フランドル派
- 所蔵
- シント・バーフ大聖堂(ヘント)
- 展示室
- ルネサンス
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル