
晩年のピサロは視力の衰えに悩まされ、屋外での制作が難しくなりました。『モンマルトル大通り』はホテルの部屋の窓越しに描いた連作の1枚で、夜の大通りを描いています。ピサロは同じ通りを昼夜さまざまな天候で繰り返し描きました。
見どころ
ホテルの窓からの眺め
1897年1月以降、ピサロは再びパリのホテルに滞在し、この大通りを窓越しに繰り返し描きました。時間や天候を変えて同じ通りを捉える、晩年の連作の手法です。
夜を描いた1枚
ピサロはモンマルトル大通りを昼夜さまざまな条件で描き分けました。この作品はそのうち夜の情景を捉えた1枚です。
視力の衰えが生んだ連作
1893年頃から眼の病気が悪化し、医師にほこりっぽい街へ出ないよう勧められたピサロは、ホテルの部屋にこもって窓の外の街を描くようになりました。この習慣が晩年の都市の連作を生みました。
印象派展、皆勤の画家
カミーユ・ピサロは1830年、カリブ海のセント・トーマス島に生まれ、1855年に画家を志してパリに渡りました。1874年の第1回印象派展から1886年の第8回展まで、全8回すべてに参加した唯一の画家です。年長者として仲間から尊敬され、セザンヌやゴーギャンに助言と励ましを与えたことから「印象派の父」とも呼ばれています。1880年代後半にはスーラの点描技法に影響を受けて新印象派に加わりましたが、時間がかかりすぎることや買い手に不評だったことから、1890年代初めにはこの手法を放棄しました。
視力の衰えが生んだ都市の連作
1893年頃から眼の病気が悪化したピサロは、医師にほこりっぽい街へ出ないよう忠告され、パリのホテルの部屋にこもって窓の外に広がる街を描くようになりました。この習慣から、パリ、ルーアン、ル・アーヴル、ディエップという4都市を舞台にした「都市シリーズ」が生まれます。1897年1月以降、ピサロは再びパリのホテルに滞在し、サン・ラザール通りやモンマルトル大通りを主題にした連作を手がけました。同じ通りを異なる時間や天候のもとで繰り返し描くのが、この時期のピサロの制作方法でした。
よくある疑問
- 『モンマルトル大通り』はどこにある?
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夜の情景を描いたこの作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しています。ピサロは同じ大通りを繰り返し描いており、他のバージョンは別の美術館にそれぞれ所蔵されています。
- 誰が描いた?
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印象派の画家カミーユ・ピサロが1897年に描きました。ピサロは全8回開かれた印象派展のすべてに参加した唯一の画家です。
- なぜ同じ場所を何度も描いた?
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ピサロは1893年頃から視力の衰えに悩まされ、医師の勧めでほこりっぽい屋外を避けるようになりました。ホテルの部屋の窓から見える街の景色を、時間や天候を変えて繰り返し描くようになり、『モンマルトル大通り』もその連作の1つです。
- 印象派の絵?
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ピサロは1880年代後半、スーラの点描技法に感化されて新印象派に加わりましたが、1890年代初めにはこれを放棄し、印象主義に戻りました。『モンマルトル大通り』が描かれた1897年は、印象主義に回帰した後の時期にあたります。
基本データ
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル