伴大納言絵詞

作者不詳(伝 常盤光長)《伴大納言絵詞》12世紀後半頃(制作年不詳)
伴大納言絵詞Ban Dainagon Ekotoba
12世紀後半頃(制作年不詳)
紙本著色、絵巻、31.5 × 2629.9 cm
出光美術館

この作品のデータ

作者作者不詳(伝 常盤光長)
制作年12世紀後半頃(制作年不詳)
時代日本・近世まで同じ時代の作品 42点
様式やまと絵同じ様式の作品 5点
種別絵巻同じ種別の作品 5点
技法・素材紙本著色、絵巻
所蔵出光美術館東京
有名度★★★名画クイズで出題(全作品の解放)
何がすごいのか

教科書でおなじみの、子供の喧嘩から放火犯が発覚する場面は、一つの絵の中に複数の瞬間を重ねて描く「異時同図法」で描かれています。作者は伝承では常磐光長ですが、実ははっきりしていません。若狭酒井家から出光美術館へ渡った1982年の譲渡額は、当時で30億円以上とされています。

見どころ

つかみ合う2人の子

画面の中ほどで、2人の子供が取っ組み合いの喧嘩をしています。舎人(とねり)の子と、出納(すいとう)の子です。この小さな喧嘩が、のちに応天門の放火事件の真相を明るみに出すきっかけになります。

同じ子が2度描かれる異時同図法

左下では、駆けつけた出納が自分の子を抱き寄せながら、相手の子を蹴り飛ばしています。水玉模様の着物の子は、画面の中ほどと左下の2か所に描かれています。時間の違う場面を1つの画面に重ねる「異時同図法」で、日本史の教科書でもよく取り上げられる場面です。

騒ぎを見守る人々

右側には、騒ぎを聞きつけた人々が集まっています。我が子を蹴られて怒った舎人が、このあと伴大納言の放火を言いふらし、事件が明るみに出ます。上巻の炎上する応天門、下巻の伴大納言の捕縛へと物語は続きます。

酒井家から出光美術館へ

本作は一時期、出羽の大名・最上義光が所有したと伝わります。その後、武久昌勝が最上家から譲り受け、若狭酒井家に仕官した際に酒井家へ渡りました。ボストン美術館が所蔵する『吉備大臣入唐絵巻』とともに、酒井家に長く伝来しています。1982年、酒井家から出光美術館へ譲渡されました。譲渡額は当時で30億円以上とされ、この事実が明らかになったのは翌1983年のことです。

新たに見つかった模写

伴大納言絵巻の模写は5点ほど知られています。2010年、早稲田大学名誉教授の中野幸一が1980年代前半に購入していた模写の存在が明らかになりました。原本では剥落した部分が精細に復元されており、収められていた桐箱の記述から、幕末の画家冷泉為恭かその一門の手によるものとみられています。

よくある疑問

『伴大納言絵詞』はどこにある?

出光美術館が所蔵しています。もとは若狭酒井家に伝来した絵巻で、1982年に同館へ譲渡されました。

誰が描いた?

作者は常磐光長と伝えられていますが、確証はありません。後白河法皇が『年中行事絵巻』とあわせて描かせたと推定されていますが、制作年もはっきりしていません。

国宝に指定されている?

指定されています。『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『鳥獣人物戯画』とあわせて、日本の四大絵巻物と呼ばれています。

詞書はすべて残っている?

上巻の詞書は失われています。内容は『宇治拾遺物語』巻第十の「伴大納言、応天門を焼く事」で補うことができます。

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

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