イーゼンハイム祭壇画

マティアス・グリューネヴァルト《イーゼンハイム祭壇画》1512〜1516年ごろ
イーゼンハイム祭壇画Isenheim Altarpiece
1512〜1516年ごろ
油彩、板、336 × 460 cm
ウンターリンデン美術館(コルマール)
何がすごいのか

祭壇画に描かれたキリストの体は、腫瘍と傷跡で覆われています。実際の皮膚病の症状を写実的に描いた、美術史でも異例の作品です。この祭壇画があったのは麦角症などの皮膚病患者を治療する修道院の病院で、患者に自分たちの痛みを分かち合う存在としてキリストを示すためでした。完成後は画家の名とともに忘れられ、フランス革命の混乱で運ばれた先で約350年ぶりに再発見されました

見どころ

腫瘍に覆われたキリスト

中央の磔刑像は、疫病の腫瘍と棘の傷で覆われています。実際の皮膚病の症状を描いた点で西洋美術の中では異例とされ、皮膚病患者の療養院に置かれた祭壇画ならではの表現です。

1515年の香油壺

キリストの右で跪くマグダラのマリアは、震える身体と長い金髪で悲しみを表しています。彼女が持つ香油壺には制作年の1515年が記されています。

矢を受けた聖セバスティアヌス

左の翼パネルには、疫病除けの守護聖人として信仰された聖セバスティアヌスが描かれています。矢に射抜かれながらも落ち着いた表情を保っています。

開閉する3つの場面

祭壇画は両翼パネルの開閉によって、3つの場面を見せる仕組みになっています。普段は翼が閉じられ、中央の磔刑と、左右の聖セバスティアヌス、聖アントニウスの絵が現れます。日曜や教会歴の重要な祝祭日には翼が開かれ、受胎告知やキリストの降誕、復活の場面が見えるようになっていました。さらに聖アントニウスの大祭日には彫刻部分も開かれ、隠遁生活や悪魔の誘惑を描いた場面まで見ることができました。

ドイツとフランスを渡った祭壇画

アルザス地方にあるこの祭壇画は、近代の戦争のたびに帰属が揺れ動きました。普仏戦争後にドイツの管轄となると、ドイツの歴史家からは自国の芸術の本質を表すものとみなされます。第一次世界大戦中には一時ミュンヘンへ運ばれ、戦後は再びフランスの所有に戻りました。1930年代後半、ナチスはこの祭壇画を「退廃的」とみなし、ドイツにおける評価は一時的に下がっています。

表現主義への影響

戦後、激しい感情を帯びたこの祭壇画は、ジョージ・グロスやオットー・ディクスら表現主義の画家たちの着想源になりました。作曲家パウル・ヒンデミットの歌劇『画家マティス』の題材にもなっています。祭壇画は洗浄と修復を経て、2022年にウンターリンデン美術館へ戻されました。

よくある疑問

『イーゼンハイム祭壇画』はどこにある?

フランス・コルマールのウンターリンデン美術館に所蔵されています。もとはコルマール近郊のイーゼンハイムにあった聖アントニウス修道院の礼拝堂のために制作されました。

なぜキリストの体が病気のように描かれているの?

この祭壇画があった修道院は、麦角菌による皮膚病「聖アントニウス病」の患者を治療していました。苦しむ患者に、キリストも同じ痛みを共有していると示すために、腫瘍や傷のある体があえて描かれたと考えられています。

誰が作った?

画家マティアス・グリューネヴァルトが絵画部分を、彫刻家ニコラウス・ハーゲナウアーが中央の彫像部分を手がけました。4年の歳月をかけて制作されたと伝わっています。

なぜ長い間知られていなかった?

祭壇画は聖アントニウス修道院の聖堂に置かれたまま、画家の名前とともに忘れられていました。フランス革命の混乱を避けて1793年にコルマールへ運ばれ、1852年に開館したウンターリンデン美術館で展示されたことで、約350年ぶりに再発見されました。

基本データ

制作年
1512〜1516年ごろ
種別
絵画
技法・素材
油彩、板
寸法
336 × 460 cm
様式
北方ルネサンス
所蔵
ウンターリンデン美術館(コルマール)

出典・画像について

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!