ミロのヴィーナス

作者不詳(古代ギリシャ)《ミロのヴィーナス》紀元前2世紀
ミロのヴィーナスVenus de Milo
紀元前2世紀
パロス島産大理石、高さ 204 cm
ルーヴル美術館(パリ)
何がすごいのか

発見された時から両腕を欠いています。1820年、ミロス島の農夫が畑で見つけた際、そばにはリンゴを持つ大理石の手も一緒に出土しており、『パリスの審判』の不和のリンゴを持つ女神だったと考えられてきました。像とともにあった作者を示す銘文は現存せず、本来の姿もいまだに定説がありません。

見どころ

欠けた両腕

右乳房の下には埋められた穴があり、本来は右腕を支える金属製の枘が差し込まれていたと考えられています。両腕は発見時からすでに失われていました。

腰でつながる2つの石

像は腰の位置で接合された2つの大理石から作られています。上半身は裸で下半身には衣をまとい、右脚に体重をかけて左脚をわずかに上げる姿勢をとっています。

理想化された顔立ち

肌の部分は滑らかに磨かれ、唇はわずかに開いて歯が見えるように彫られています。身体表現が写実的なのに対し、顔立ちはより理想化されていると評されます。

農夫が見つけた像

ミロのヴィーナスは1820年4月8日、当時オスマン帝国領だったミロス島で、ギリシア人農民のイヨルゴによって発見されました。考古学に関心を持つフランス海軍士官オリヴィエ・ヴーティエが発見に立ち会い、掘削を続けるよう促しています。

像の大きな2片と小さな1片のほか、腕の断片、リンゴを持つ手、2体のヘルメース柱が近くから見つかりました。像とともに2つの銘文もあったとされますが、いずれも現存していません。

パリへ渡った経緯

発見後、像を乗せた船はコンスタンティノープルへ向かい、そこでフランス大使の補佐官マルセルス伯に発見が報告されました。マルセルスがミロス島に到着した時点で、像はすでに別の買い手のために船に積み込まれていましたが、フランス側の介入で購入することができました。

像はフランスへ運ばれ、ルイ18世によってルーヴル美術館に収められました。像はカトルメール・ド・カンシーの勧告により、当時の通例に反して大幅な復元を受けず、発見時の状態のまま展示されることになりました。

20世紀の大衆文化に登場

20世紀初頭、ミロのヴィーナスはシュルレアリスム運動の関心を引きました。ルネ・マグリットは石膏複製に彩色し、サルバドール・ダリは『幻覚剤的闘牛士』を含む複数の作品でこの像を参照しています。

映画や広告にも度々登場し、1932年の映画『ブロンド・ヴィナス』のポスターではマレーネ・ディートリヒがこの像に扮しました。ケロッグのコーンフレークやリーバイス、メルセデス・ベンツの広告にも使われています。

よくある疑問

『ミロのヴィーナス』はどこにある?

フランス・パリのルーヴル美術館が所蔵しています。1821年に展示が始まって以来、発見時の姿のまま大規模な修復を受けずに公開されています。

誰が作った?

作者は確定していません。像の近くで発見された銘文から『アンティオキアのアレクサンドロス』作とされることがありますが、この銘文はすでに失われており、像との関係を疑う研究者もいます。

なぜ両腕がないの?

発見された時点ですでに両腕を失っていました。右乳房の下に金属の枘を差し込んだ跡があり、右腕を支えていたと考えられていますが、腕そのものは見つかっていません。

本来はどんなポーズだった?

定説はありません。発見時にリンゴを持つ大理石の手が近くから見つかったことから、右手で衣を押さえ左手にリンゴを持つ姿だったとする復元案が広く支持されています。ほかに花冠や鳩、盾を持っていたとする説もあります。

基本データ

制作年
紀元前2世紀
種別
彫刻
技法・素材
パロス島産大理石
寸法
高さ 204 cm
様式
Hellenistic sculpture
所蔵
ルーヴル美術館(パリ)

作者不詳(古代ギリシャ)のほかの作品

《サモトラケのニケ》 《ラオコーン像》

出典・画像について

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!